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号令 ― 『女性手帳』 と 『結婚十訓』

2013-05-16 

『女性手帳』が気になり、引き続きいろいろ調べて考えました。

『女性手帳』を推進するのが、厚労省でも文部科学省でもなく

内閣府だということにも違和感を覚えるのです。

妊娠・出産について、国家権力の中枢が口を出すということ

それが一番の気がかりです。


妊娠・出産について政府が国民に「号令」をかけた時代がありました。

74年前の戦時中のことです。

「産めよ殖やせよ」という戦時中のスローガンを思い出す人は、

今では少なくなってしまったかもしれません。

もちろん、私も生まれる前の話ですが。


1939年9月に厚生省(当時)が、『結婚十訓』というものを出しました。

その中に

「なるべく早く結婚しませう」

「産めよ殖やせよ国のため」

というスローガンがあります。


1937年7月7日に日本は日中戦争に突入、

同年、政府は『国民精神総動員運動』を提唱、

1938年に『国家総動員法』を制定、

その翌年に『結婚十訓』が発表されました。

当時の日本は戦争のために人口増加に急ブレーキがかかっていました。

それは領土拡大の戦争遂行に不都合だったというわけです。

「産めよ殖やせよ国のため」という『結婚十訓』の翌年、

1940年には『国民優性法』が制定されました。

障がいや病気のある人に強制的に不妊手術をおこなうことを定めました。

一方では「子どもを産め」、

他方では「子どもを産ませない」

という統制が進められたのです。


『結婚十訓』は、ナチスドイツの『配偶者選択10ヶ条』を手本とし、

『国民優性法』も、ナチスの悪名高い『断種法』をもとに作られたそうです。

今は米国一辺倒ですが、当時はナチスがお手本だったようです。

強制的不妊手術を合法化した『国民優性法』は、

戦後の『優生保護法』に受け継がれ、

日本で強制的不妊手術が禁止されるには、

1996年の『母体保護法』の成立を待たなければなりませんでした。

強制的不妊手術は、今日では、国際的に「人道に対する罪」とされています。


『結婚十訓』の「産めよ殖やせよ」の影響で、

当時、世間では子どもが5人以上というのが当たり前になっていったとか。

確かに1935年生まれの私の父も6人きょうだいでした。

政府の思惑通りになったのかもしれません。

その頃の親たちは、子どもが多いほど立派だとほめられ、

子どもが少ないと肩身の狭い思いをしたにちがいありません。

そういうふうにして権力は人々をコントロールするのです。


その当時の子育ての苦労が、

「貧乏人の子だくさん」という言葉を生んだのだろうと思います。

「貧乏だけれども子どもがたくさん」の暮らしは、苦労だけれども喜びもある

そんな庶民の思いも込められていたのではないでしょうか。

この言葉を「貧乏だと子どもの数が多くなる」と解釈する人があるようです。

そういう解釈をしたくなってしまうのは世相というものでしょうか。

でもそれは間違っています。

もし、貧乏の結果、子どもが多くなるのなら、

貧困と格差が広がっている近年は、子どもがどんどん増えているはずですね。

しかし、貧困は子どもの数を増やすのではなく、減らすのです。


子どもを減らす原因をそのままにして、子どもを増やそうとする。

いわば無理を承知で国民に押しつける。

『女性手帳』と『結婚十訓』は、そこが同じです。

その昔、『結婚十訓』が一定の成功を収めたのだとしたら、

それは、当時、国民が心の中まで国家によって支配されていたからでしょう。

安倍首相は自分が生まれる前のあの頃のように国民に従って欲しいのです。

『女性手帳』が求めているのは、

国の言うことに、おとなしく従う国民です。

私たちはどうしますか?

今、いろいろなところで、『女性手帳』への批判の声がわき上がっています。

言いなりには、なりません。


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