当事者の思いを聴く
2013-06-19
私は、判断をするとき、特に判断に迷ったとき、できるだけ当事者の話を聞きたいと思っています。
当事者には当事者の思いがあるからです。
ことわざで言うと、「盗人にも三分の理」(ぬすびとにもさんぶのり)に近いでしょうか。
でも、これはあまり良いイメージのたとえではありませんね。もっと、別のことわざはないかと思い、考えてみましたが、思い浮かびませんでした。
「三分(さんぶ)」というのは、十分の三という意味で、「泥棒にも盗みをしなければならない理由が十分の三くらいはある」という解説がありました。(→故事ことわざ辞典)
ここで、私は、自分がこの歳になるまで思い違いをしていたことに気づきました。私は三分(さんぶ)を3%のことだと思っていたのです。たとえば野球で打率0.345を「三割四分五厘」と言ったりするので、「分(ぶ)」は、1/100の意味だと思っていたのですが、違いました。
「分(ぶ)」というのは、「1/10を表す漢数字」だそうです。漢数字だとは思ってもみませんでした。びっくりです。単に「三分(ぶ)」と言えば、それは3/10の意味になるわけです。
昔の人は、3%(3/100)ではなく、三分(3/10)の「盗人の理」を汲み取っていたのだなということを知り、改めて感じ入りました。
横道にそれましたが、盗人にも三分の理があるくらいですから、盗人でない人の話を聴けば、様々な「理」があるのは当然と言えば当然です。
議会で物事を決めるのが議員の仕事です。
何かを決めると、誰かが利益を受け、誰かが不利益を受けることが多いものです。問題は、不利益をどう考えるか。そして、その不利益を受ける当事者は誰かということです。
たとえば、消費税の増税を考えるとき、お金持ちの人は税率が5%から10%になっても、まったく平気です。20%でもよいという人さえいます。そういう人は、私が考える当事者ではありません。心配する必要がない人たちだからです。
関市が、来年度から、指定ごみ袋1枚6円を50円に値上げしたいと言っている問題は、どうでしょうか。色々な人に意見や感想を聞いてみると、たいていの人は安い方がいいと答えますが、そこそこ生活の安定している人では、「まあ、それくらいは仕方がない」、「市も財政が苦しいから」と理解を示す人が多くなるように思います。
他方、生活の厳しさを感じている人や、その苦しみに寄り添って考える人の受け止めは深刻です。指定ごみ袋を年間100枚使うとすると、年600円の負担が5000円に増えるのですから。
ある人は、真剣な面持ちでこう言いました。
「ごみ袋だけ切り離して、『50円くらいならいいだろう』という考え方はやめてほしい」
関市の場合で言うと、去年は上下水道料金が20%値上げ、今年は国保税が15%値上げ、特定継続世帯には負担の上乗せまであります。夏からは年金の削減が始まり、生活保護の生活扶助の引き下げも始まります。そして来年からごみ袋が8倍以上になり、とどめは消費税増税。その上、首相は物価を上げると言っている。収入が増えないのにどうしたらいいのか・・・。
もっとも考えなければならないのは、もっとも痛みを受ける人のことではないかと思うのです。
関市が職員の給与を引き下げる案を議会に提出しようとしている問題で、職員組合が給与引き下げで合意するかどうかに注目しています。
国は「復興財源」の確保を名目に国家公務員の給与を、期間を区切ってですが、一方的に引き下げました。労働基本権を制約された国家公務員の給与の改定は人事院勧告に基づいておこなうのがルールなのに、みずからそのルールを破るという暴挙です。傍若無人なやり方に対し、京都大学職員組合など、不当な給与引き下げ分を返還せよと提訴し、裁判でたたかっている組合もあります。
不当な給与カットを地方にも押しつけようと、政府は自治体に地方公務員の給与カットを「要請」しています。これは地方自治への介入だと、今年4月、岐阜県市長会は抗議の決議を全会一致で可決しました。その後、全国市長会も同様の決議をあげています。
県内の市長が一丸となって、筋を通すのかと思っていたら、おかしくなってきました。国の「要請」に従う首長が出てきて、混乱しているのです。
県内では、岐阜県、下呂市、高山市、岐阜市、中津川市が引き下げの意向です。
美濃加茂市や郡上市、可児市、多治見市、土岐市、瑞浪市、飛騨市は引き下げないと決めました。
御嵩町や八百津長、坂祝町は、町長が提出した給与引き下げ案を議会が否決しました。
岐阜県は、職員組合との交渉で、提示した削減率を縮小しました。組合側とは合意しないままで、県議会に上程されそうです。
関市の尾関市長は、今年7月から来年3月までの期間、月額平均5.4%の給与引き下げを実施するという案を、6月12日に職員組合に提示しました。現在も交渉中です。市議会定例会の最終日は、21日に迫っています。
市役所に行ったついでに、市職員に声をかけ、「給与引き下げをどう思いますか」と質問しています。「下げてもよい」という職員はいません。「引き下げになったらどうしますか」と尋ねると、
「食費を削ります」
「友達とお酒を飲みに行くのを減らします」
「小遣いを減らします」
「小遣いがなくなってしまうから、赤字はボーナスで補います」
「子どもの仕送りは減らせんから、やっぱり小遣いを・・・」
それぞれの暮らしがあります。
マスコミを通じて公務員たたきが盛んにおこなわれ、地方公務員もものすごい厚遇を受けていると思っている人が最近は増えているかもしれませんが、天下りの高級官僚とは違うのです。
関市の尾関健治市長は、市議だったころから毎日ブログを書いているようです。なかなかできることではないと感心しています。一昨日に見てみたら、議会に給与引き下げ案を説明した6月13日付のブログに、市長はこんなふうに書いていました。
「全員協議会において、国から求められている市役所職員の給与削減に関する条例案を議会最終日に提案することも説明をしました。地方交付税を使って地方の首を絞める国のやり方は、まったく話にならない手法だと思っていますが、ただし、実際にすでに交付税が減らされている以上、その削減によって市民サービスや財政に影響を与えることは避けるべきだと考えました。交付税の削減額とほぼ同額を、職員給与を削減します。これにより、ラスパイレス指数(国家公務員との給与比較を示す指数)は100となります。また、家庭ごみの有料化について、代表質問・一般質問でも多くの議員の肩からご質問をいただきましたが、市民の皆さんに負担を求めていく以上、職員給与を削減しない、という考えにはいたりませんでした。」(日刊「オゼケン通信」2013年6月13日付から抜粋)
「地方の首を絞める国のやり方」を批判しながら、それを職員に転嫁して、「職員の首を絞めるやり方」をするのはおかしいと思いませんか。
「交付税の削減によって市民サービスや財政に影響を与えることは避けるべきだ」というのは、その通りですが、今年度の場合、交付税削減を見込んで予算は成立しており、財政に穴があくこともなく、ただちに「サービスや財政に影響を与えること」はありません。
関市の場合、職員給与の削減を押しつけてきた国が減らしてきた交付税は、算定上、1億2千万円余りとのことですが、市長が提示している給与削減案の総額が1億4千7百万円で、交付税削減額を上回っているのもどうかと思います。
昨日も、文教経済委員会の補正予算の説明で、学校耐震化など施設整備について「有利な財源の活用」の説明を受けたばかりです。「有利な財源の活用」というのは、国からの補助金がたくさんもらえるように工夫したという意味です。やりくりを工夫して、「市民サービスや財政に影響を与えること」を避けることができるはずです。
平成17年の市町村合併以来、職員150人削減目標のために、職員組合も協力して、削減を「前倒し」で実施してきて、人件費削減をすすめてきたことも考慮するべだろうと思います。
職員組合は、不当な給与削減案に対して、首を縦に振るべきではないと思います。
「市長がブログで、ごみ袋の値段を上げならんで、職員の給与も削減せならんという意味のことを言っとんさるけど、どう思いますか?」(関弁まるだし)
昨日、ある職員にそう尋ねてみました。
「私も、関市民で、ごみ袋を買っているんですけど・・・」
ぽつりとそう言って、がっくり肩を落としていました。
市職員は「全体の奉仕者」として働くと同時に、地域の生活者です。念のために申し添えますと、「盗人」ではありません。
関市議会は、職員組合が市長と交渉妥結しなければ、給与引き下げ案を否決するという空気です。組合と市長部局との交渉の行方を、議会も注目しています。
市長が、給与引き下げ案を追加上程する場合、本日中に議会事務局に連絡が入り、明日の議会運営委員会に諮られ、明後日21日の本会議で審議されます。
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