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アジア・太平洋戦争の哀しみ

2013-08-16

昨日は、68回目の終戦記念日でした。市内11カ所で街頭宣伝をしました。

1945年8月15日、日本の降伏が国民に知らされました。(戦争が終わったのは降伏調印式がおこなわれた9月2日です。)

アジアで2000万人、日本で310万人が、日本の軍国主義の下でおこなわれた侵略戦争の犠牲となりました。

平成の大合併前の旧関市では1070名が戦争で命を奪われたそうです。

これは「関市史」の編纂にかかわった安藤孝雄先生に教えていただきました。

この戦争が、日本がおこなった最大・最悪の戦争であったことは間違いありませんが、その戦争の呼称が未だ定まっていないようなところがあります。第二次世界大戦、太平洋戦争、十五年戦争、大東亜戦争。「先の大戦」とか「あの戦争」などと、ぼかして言ったり、単に「戦争」と言うことも多いのではないでしょうか。

安倍晋三首相が「侵略の定義は定まっていない」などと、デタラメな答弁を国会で平気でおこなうような有様ですから、戦争の呼称さえもきちんと定まらないということだと思います。何とも心許ない話です。

「しんぶん赤旗」では、「アジア・太平洋戦争」(2013年8月15日付「主張」)としています。

15日夜のNHKの特集番組に出演していた岡本行夫氏は、「私は『アジア・太平洋戦争』と呼ぶのがよいと思う」と言っていました。

調べてみて、岩波書店から「アジア・太平洋戦争」吉田裕著)が、2007年に出版されていることを知りました。(まだ読んでいませんが・・・)

私は、これまで「第二次世界大戦」、あるいは「太平洋戦争」と言ってきたのですが、日本がおこなった侵略戦争を示す言葉として、これからは「アジア・太平洋戦争」と呼ぶことに決めました。


 

戦時中の直接体験の記憶をもつ人を75歳以上と仮定すると、今年7月の人口推計で、人口の12.2%(男9.6%、女14.7%)になります。(記事の末尾に統計データのリンクが有ります。)

戦争体験世代が少なくなってきました。

テレビのニュースで、戦争で兄を亡くしたという女性が涙をぬぐいながら語っておられました。

「今でも、哀しくて仕方が無い」

「戦争だけはしてはいけないと、それだけは心に思っています」

自分も含めて戦争を知らない世代は、その哀しみを自らの哀しみとして受け継いでいくことが必要だと思いました。

全国革新懇の代表世話人の一人で、著名な財界人である品川正治さんは、中国戦線に送られて敗戦を迎え、帰国するときの船上で、初めて日本国憲法第9条を読んだときのことを語っています。

「突き上げるような感動に震えた」

そのときの品川さんの心持ちを想像しました。

戦争の惨禍の下で、物言えぬ国民の心の中にあった平和への渇望を感じさせる話だと思いました。

不戦を誓った日本国憲法、戦争放棄を定めた憲法9条は、敗戦による国際社会の圧力でできたという改憲論者の主張があります。

それは皮相な見方だと私は思っています。

「戦争だけは二度とくりかえしてはならない」

その人々の思いが、日本国憲法に「戦争放棄」を明記させたのだと思うのです。

戦争放棄は戦後日本の人々の心の奥深いところとつながっています。

 


 

しかし、国政は、不戦の誓い、平和への願いと逆行する方向に進もうとしています。

復活した安倍晋三政権と自民党は、憲法の改悪をすすめる動きを加速させています。

歴代内閣が憲法違反としてしてきた「集団的自衛権の行使」を可能にする。

―憲法解釈を180度転換するという無茶苦茶な話です。

武器輸出禁止の国是を見直して兵器輸出に道を開く。

―武器の拡散を抑制するよりお金儲けのほうが大事ということです。

こういう重大なことを、参院選挙では何も言わず、選挙がおわったとたんに言い出すのですから、どういう神経なのかと思います。

その先で、「憲法9条は日本の実情にあわない」と言って国民を丸め込み、改憲をおこなおうという考えです。日本の防衛とは関係のない戦争をする国への道です。

戦後68年目の夏、憲法問題は、正念場を迎えています。


 

安倍晋三首相は、68回目の終戦記念日に何を語ったのでしょうか。

政府主催の全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞全文を時事通信が報じています。

「アジアへの反省触れず」=戦没者追悼式で首相式辞―68回目の終戦記念日

との見出しで、時事通信は伝えました。


 

安部首相の式辞全文を読んでみると、確かに戦争に対する反省がまったくありません。長ければ良いというものではありませんが、短くておざなりな式辞だと思います。

「戦没者」、「戦場」、「戦禍」、「戦後」という言葉は出てきますが、肝心の「戦争」という言葉が式辞の中にないのです。不自然で違和感を覚えます。

 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。
 いとしいわが子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。御霊を悼んで平和を祈り、感謝をささげるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かにこうべを垂れたいと思います。

この安部首相の言葉の中には、アジア・太平洋戦争の当事国の「代表」としての反省も謝罪もありせん。戦争の犠牲になったすべての人々の味わった苦しみ、遺族が今も抱く胸迫る哀しみや悔恨に寄り添おうとする態度も感じられません。

「言葉は無力なれば」と安部首相は言います。言葉で犠牲者がよみがえるわけではありませんが、だからこそ言葉を尽くして追悼するのではないでしょうか。

「哀悼の意を表します」、「哀悼の誠を捧げます」という言葉が戦没者の追悼にはよく使われてきましたが、安部首相の式辞からは「哀悼」という言葉すらなくなってしまいました。浮かび上がってくるのは「哀しみ」ではなく、「尊い命をささげられた」軍人への「感謝」です。「お国のために死んでくれた」という「感謝」・・・。その「感謝」という言葉の陰には”賛美”の匂いさえ漂います。

これは未曾有の戦争の惨禍に対する戦争責任をあいまいにしているということの帰結です。

そして、そのあいまいさは、そのまま「あの戦争は正しかった」というアジア・太平洋戦争肯定論につながっているのです。

 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り開いてまいります。世界の恒久平和に、あたう限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。 

安部首相の言う「歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓」とはいったい何なのか、さっぱりわかりません。

アジア・太平洋戦争における植民地支配と侵略の誤りを認めない安部首相の式辞の中身は、からっぽではないかと思います。

憲法9条を読み「突き上げるような感動に震えた」という戦争体験者の心を、空疎な美辞麗句で動かすことはできません。

私たちが受け継いでいかなければならないのは、戦争で苦しんだ戦争体験者の心だと改めて思いました。


 *****  リンク *****

日本共産党 しんぶん赤旗 (2013年8月号外)

終戦68年

再び日本を戦争する国にはさせません

http://www.jcp.or.jp/web_download/bira/2013_2/pdf_4/20130815-syuusen.pdf

日本共産党 しんぶん赤旗 (2013年8月15日付)  

主張

終戦68年

平和の決意生かし改憲阻止を

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-15/2013081501_05_1.html

 

平和に生きる権利の確立をめざす懇談会 第5回学習会

「岩波講座 アジア・太平洋戦争」の編集を担当して

2006年10月31日 報告者 吉田浩一

http://comcom.jca.apc.org/heikenkon/2006/061031yoshida/yoshida_1.html

平成25年7月22日 総務省統計局

人口推計

ー平成25年7月報ー

http://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201307.pdf

 

 

 

 


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