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憲法を超越する存在をつくりたい自民党

2013-10-23

 

九条の会・せき の主催で、10月20日、憲法学習会が開かれました。50名を超える参加がありました。

開会のあいさつで、山田弘事務局長が、「戦争は、秘密保持と国民弾圧の法規が整ったときに始まる。今、その準備が行われつつある」と指摘し、憲法問題が極めて重要な局面にあると訴えました。

それから2時間余り、岐阜大学の近藤真教授(憲法学)の講演がありました。講演のタイトルは

集団的自衛権でどうなる

国家安全保障基本法と自民党改憲案

特定秘密保護法案、原発、尖閣、消費税、TPPそして96条改憲?

タイトルも長いですが、資料もたくさん(A3判で28ページ)いただきました。

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安倍晋三首相は、国家安全保障基本法案、特定秘密保護法の成立をめざすなど、改憲に向けたスケジュールを進めようとしています。

国家安全保障基本法案で武器輸出を解禁し、集団的自衛権を合憲にする解釈改憲で憲法九条を死文化しようとしています。九条の会は、10月7日に集団的自衛権行使に反対するアピールを発表しました。

特定秘密保護法案では、国民の知る権利を制限しようとしています。昨日のニュースでは、自民党と公明党が合意して、間もなく閣議決定をするという段階になっています。「秘密保護法案のねらいは、防衛・外交をはじめ国政の重要問題で、国民の目と耳、口をふさぎ、日本を『海外で戦争する国』につくりかえることにある」として、日本共産党は10月18日に、秘密保護法案に断固反対するとの声明を発表しました。

安倍政権の下で進行している事態はあまりに重大で、焦燥感に駆られる思いです。

近藤先生の今回の講演で学んだのは、自民党の憲法改正草案が「天皇を、憲法を超越した存在に祭り上げようとしている」ということです。(近藤先生がそのように表現されたわけではなく、私がそう思ったという意味です。)

これは、九条改憲と共に、改憲の本質にかかわる重大問題だと考えさせられました。


日本国憲法では、天皇は「象徴」とされていますが、自由民主党の日本国憲法改正草案(2012年4月27日決定=以下「自民党改憲草案」と略す)では、「元首」という規定が付け加えられています。

「国の象徴(the symbol of the State)」と「国家元首(Head of State)」では大違いです。

明治憲法(大日本帝国憲法)では、天皇を「元首」としていました。自民党は天皇を戦前の地位に近づけたいという考えなのです。

それぞれの条文は、次のようになっています。

〔大日本帝国憲法 第4条〕

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

〔日本国憲法 第1条〕

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

〔自民党改憲草案 第1条〕

天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権その存する日本国民の総意に基づく。

現行憲法には「元首」という言葉はありません。その地位を再び天皇に与えるというのが自民党改憲草案です。


「元首」とは何でしょうか。

元首(げんしゅ)または国家元首(こっかげんしゅ、英:Head of State)とは、必ずしも一義的ではないが、国際法上、国家の長としてこれを対外的に代表する機関を指す。 (ウィキペディアから抜粋)

つまり、対外的な国の代表が元首です。

近藤先生によると「現行憲法では、国民主権の帰結として、内閣総理大臣を元首と考えるのが憲法学界の多数意見」とのこと。憲法学教授にそう言っていただくと心強い限りです。

ただし、これについては論争があります。(詳しくは、ウィキペディア「日本の元首」の項をごらんください)

総理大臣ではなく天皇が元首だという意見もあるのです。憲法で「象徴」と規定された天皇は「国事行為」をおこなうことになっており、国賓を迎えてもてなすなど儀礼的な仕事をおこないます。これは元首の仕事の一部であるといえばその通りですが、ここに象徴天皇制という日本の特殊性があります。日本国憲法は、「元首」ではなく、あえて「象徴」を選んだのです。

日本政府(内閣法制局)の見解は、「天皇は、限定的な意味において元首である」というものだそうです。

現行憲法の下で、天皇が元首かどうかという議論は「あまり意味がない、というのが憲法学の通説的見解となっている」(ウィキペディア)とのこと。

しかし、内閣法制局の言う「限定的な意味」を取り払おうとするのが自民党改憲案です。これは「あまり意味がない」ということでは済みません。


 

現憲法下では、元首の役割の一部を果たしているからといって、天皇が内閣の上に立つわけではありません。日本国憲法第3条に、天皇の国事行為には、「内閣の助言と承認」が必要であると定めているからです。

象徴天皇の国事行為は内閣が認める範囲でなければならないのであって、天皇にまかされている憲法上の仕事をコントロールする権限を内閣が持っています。したがって憲法上、天皇は内閣の上位であるという意味にはなりません。第3条の「内閣の助言と承認」という現行規定は、戦前の絶対天皇制の歴史を思えば、極めて重い意味を持っています。

「内閣の助言と承認」の現行規定が、国事行為を規定した他の条項に含まれるのではなく、第3条として独立していることが、この規定の重要度を示しています。

ところが、自民党改憲草案は、この第3条も変えてしまうのです。

〔日本国憲法 第3条〕

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

〔自民党改憲草案 (国旗及び国歌)第3条〕 

国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。

2 日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない。

天皇の国事行為の制限規定という重要な条文よりも、国民に国旗国歌を強制することの方が、自民党は大切だと考えているのです。 

改憲で国旗国歌問題に決着をつける。しかも、それを「第1章 天皇」の中で規定するというのですからあきれた話です。「君が代」の「君」とはどういう意味かという”君が代論争”の答えがこれだと自民党は言っているのです。

肝心の「内閣の助言と承認」は、どこに行ってしまったのか。それは、自民党改憲草案の中の国事行為を定めた第6条のうち、第4項として次のように規定されています。

天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。

「内閣の助言と承認」が、「内閣の進言」、「内閣総理大臣の進言」に置き換えられています。

驚愕の変更です。



「助言と承認」が「進言」に変われば意味がまったく違ってしまいます。

「進言」とは「目上の者に対して意見を申し述べること」です。

たとえば、「上司に業務上の改善点を進言したら仕事を干された」というように使います。進言した内容が採り上げられるかどうかわからないということは、誰もが知るところです。このような言葉を憲法に持ち込むこと自体が異常であると言わなければなりません。

同時に「進言」という言葉は、天皇と内閣(内閣総理大臣)の上下関係を明確に示しています。天皇が上位です。そして、現行憲法下で実質的に「元首」の役割を果たしている内閣総理大臣については、これを「元首」だとする規定が改憲草案にはありません。

自民党改憲草案で、天皇は内閣の上位に立つ単独の「元首」であるということになります。そして、天皇に対しては総理大臣でさえも、へりくだって「進言」しかできません。 

天皇に「助言」などもってのほかだし、「承認」とは畏れ多いとでも言うのでしょうか。しかし、これは天皇を重んじているように見せかけているだけで、本当はそうではないと私は考えています。このことはまた後で触れます。


 

天皇の地位の変更は、「元首」という明文規定にとどまりません。

憲法の最後のほうの部分にも重大な変更があると近藤教授は指摘しました。

 

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講演する近藤真教授 

 

近藤教授は、講演で、現行第98条とそれに対応する改憲草案第102条のちがいに注意を払うようにと強調されました。

〔日本国憲法 第98条〕

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

〔自民党改憲草案 (憲法尊重擁護義務)第102条〕

全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

改憲草案第102条は、国民の「憲法尊重義務」を付け加えた上で、第2項で、現行憲法第98条の「天皇又は摂政」と「尊重し」を削除しています。つまり、天皇やその代理には「憲法擁護尊重義務」を課さないというのです。

明治憲法ですら、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」として、天皇は憲法に従うと定めていたのに、自民党改憲草案は天皇の「憲法擁護尊重義務」をわざわざ免除してしまうのです。

したがって、天皇は唯一の「元首」となって内閣の上位に立つと同時に、日本でただ一人だけ「憲法擁護尊重義務」を免れます。いわば、憲法を超越した存在になります。これが自民党の改憲草案です。

国民主権の民主的国家をつくっていこうという内容ではありません。その逆です。

このような改憲をあなたは望みますか?


 

日本国憲法の最終章のタイトルは「最高法規」ですが、自民党改憲草案では、憲法の「最高法規」の意味が色褪せます。憲法に縛られない天皇。それは「至高の存在」ということでしょうか。大日本帝国憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」に、自民党改憲草案はまわりくどいやり方で、言い換えるとなるべく国民に気づかれないようなやり方で、限りなく近づこうとしています。

憲法を超越した存在をつくりたがる自民党を、私はどうにも理解できません。

そのようなことを国民は求めていないし、天皇家がそれを望んでいるとも思えません。

自民党の改憲草案は、象徴天皇制における国民と天皇の関係を引き裂くものではないかと思います。

天皇が「象徴」のままであっても誰も困りません。

むしろ超越的な「元首」になることの方が困るのです。

近藤教授は、戦後、日本が国際社会への復帰を認められたのは、「日本国憲法」と「教育基本法」を定め、新しい国に生まれ変わったからだということも強調されていました。

教育基本法は2006年(平成18年)に、第一次安倍政権で、どさくさに紛れるようにして自民党の単独採決で改悪されてしまいましたが、憲法はそういうわけにはいきません。日本が天皇を「元首」とし、戦争放棄の九条を捨てれば、それだけで大きな軋轢を生み、国際的な緊張を高めるということは間違いありません。

なぜ自民党はこのようなことをしたいのでしょうか。

考えられるのは、”強権国家”をつくるために天皇を政治利用したいということではないかということです。言い換えれば「戰爭する国づくり」です。

自民党改憲草案には、天皇を重んじているように見せかけて、実は天皇を利用しようとする考えが奥底にあると私は思います。これはこの国で権力を握った為政者が古くから行ってきた方法です。

自民党改憲草案が目指している方向を、近藤教授は「人民主権の解体」と呼んでいます。日本国憲法の英語版では、people と national が区別されていることを初めて知りました。「人民」(people)と「国民」(national)の違いも解説していただき、本当は「人民主権」の方が適切だという興味深いお話でした。


 

講演の後、自分が色々考えたことを、まとめました。

自民党改憲草案は、国民主権の間接的否定の表現である。

絶対に改憲をさせてはならない。

 

そう思っています。 

 

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シオンの花とつぼみ

 


 

***** リンク *****

 

九条の会

集団的自衛権行使による「戦争する国」づくりに反対する国民の声を

(2013年10月7日)

http://www.9-jo.jp/opinion/20131007apeal..pdf 

* 

日本共産党

国民の知る権利を奪う「秘密保護法案」に断固反対する

――「海外で戦争する国」づくりを許さない

(2013年10月18日)

http://www.jcp.or.jp/web_policy/2013/10/post-547.html

自由民主党 

日本国憲法改正草案

(2012年4月27日)

http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

 

 

 

 

 

 


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